みなさま、こんにちは。「NPO法人ライフサポート てだこ」の松本哲治と申します。
僕はこの浦添という町で、介護の仕事をずっとしているんですけれども、その視点から、どんな街であったら実際に暮らしやすいかということを含めて一緒に考えて生きたいと思います。
ちょっと時間もおしておりますので、ちょっと早口になるかと思いますけど、どうぞ、一緒についてきてください。
先ほど仲間先生の話の中にも出てきましたけども、実際におうちで今お亡くなりになられる方は、10%ちょっとということですね。ほとんど8割の方は病院で亡くなっているという事実ですね。
ただあの数字は、非常に簡略化した統計にしか過ぎないので、80%の方が病院で亡くなるといってもですね、その背景には例えば、本当に、最後の最後の、最後のところで救急車で運ばれて、病院でお亡くなりになるという方もいらっしゃるでしょうし、逆に今度はおうちにはいなかったけれども、ずっと施設で、5年10年と暮らしてきて、施設は施設ですから、例えば老人ホームなんかでずっとお世話になってたんだけれども、最後病気が悪化して、最後また病院に行って病院で亡くなる、そういうパターンもありますので、単純で6割以上の方が望んでいながら、8割の皆さんが病院で亡くなる、単純には比較は出来ないんですけども、だけれども、もう一度僕たちは、自分たちが人生の最後のステージを、どの場面で、どういう形で迎えていくのか、いきたいのかという事は、一緒に考えていかなければいけないなと思っております。
まず、できたら最後までおうちで暮らしていきたいと願いながら、実際現実的には最後までおうちで暮らしていくということが出来ないっていうのは、いろいろ聞くと、この二つになります。
まず一つは、急変時の対応が心配だと。急変時というのは、簡単に言えば、病気が悪くなった時に、自分たちだけでは診れないということですね。そういうときにどうしたらいいか分からないので、安心できる施設やプロがいる、医療スタッフがいる病院が安心ということで、まず1番目に出てくるんですね。急変時が心配という中で、おうちが診ていくのが難しいという話なんですけども、ただこれは、先ほどからずーっと話しているように、ドクターのみなさんもとても頑張っていらっしゃって、だんだんだんだんおうちでの生活をどういう風に支えていくかっていうことは、非常に、制度としては、非常に進んできているんです。先ほど名嘉さんの話もありましたけども、訪問看護士さん、今は、おうちにドクターも着てくれるし、看護士さんも来てくれるという形になっているんですね。ですから昔よりは、本当に制度的にも、国の方針としても、おうちでどのように暮らしていこうかということが大きなテーマになっています。
では、おうちで実際に例えば、介護が必要になっても、おうちで暮らし続けていくには、どうしたらいいかということを考えてみたいんですが、その中には、コツは沢山あるんです。本当に今日一時間喋っても、足りないくらい沢山あるんですけど、その中の大切なポイントだと僕が思う一つのポイントに絞って、話をしていきたいと思います。
それは、ケアマネージャーという存在です。ケアマネージャーというのは、ご存じない方のために簡単に説明しておきますけれども、おうちで介護が必要になった方が暮らしていくときに、この方の介護をどういう風に組み立てようかということを家族と一緒になって考える人です。おうちのケアのプランナーだと思っていただければいいですね。それでこのいろんなケアやサービスをマネージメントするという意味で、ケアマネージャーと呼ばれております。これを、おうちで暮らしていく、介護が必要な方1人に、必ず担当のケアマネージャーが1人決まるという制度になっております。ということは、もしみなさんが、おうちで介護や医療が必要になっても暮らしていこう思えば、自分の面倒、自分のケアを、きちんとプロとして、トータルにマネージメントしてくれるケアマネージャーを誰にするかということは、最も大切なポイントになるんです。極端に言えば良いケアマネージャーに当たるか、悪いケアマネージャーに当たるかで在宅介護は、もう本当に雲泥の差が出てきます。
ですから、是非、もうご利用なさっている方もいらっしゃると思うんですれども、ケアマネージャーを選ぶときのポイントだけ今日はちょっとお話しておきたいと思います。
まず一つ。ケアマネージャーという方は、コンビニにいたり、どこかの道の中で歩いていたり、タクシーみたいに走ったりしているわけではなくて、大体街の中にあるケアマネージャーの事務所にいます、事業所といいますけども、難しい専門用語で、居宅介護支援事業所というところにケアマネージャーは大体所属しています。ですから、これは那覇にもあるんです、沖縄市にもある、どこにでもあるんです。これをどこでも選ぶことは可能です。浦添でお住まいの方が、那覇のケアマネージャーさんに依頼することも出来ます。できるんですけども、まずはおうちから近い事業所のケアマネージャーさんを探すのが一番良いと思います。それはなぜか。考えてみたら簡単ですよね。みなさんが何か困った時に、ちょっと電話して「ちょっと困ったんだ、こうなんだ、ああなんだ」っていうことをご相談したり、その方は、みなさんの担当になると少なくとも月に1回は訪問に来ますので、みなさんが暮らしているおうちと、この方がいる事業所との距離は短いに越したことはない。近ければいいという問題ではないんですけど、とにかく近いに越したことはない。ですから、電話して「ちょっと大変だから来てください」と電話したら、ぴゅーっとすぐ飛んできてくれるケアマネージャーがいいですね。そのためにも事業所は近い方がいいということが一つ。
もう一つは、みなさんから見れば、ケアマネージャーさんは、担当のケアマネさん、お一人かもしれませんが、ケアマネージャーは、逆にお客さんを何人も抱えております。これが大体今40名ぐらいと言われておりますね。多い方は40名超えたりする。国は、今国の方向としては、40名以内に押さえなさいと。簡単ですね、たくさんたくさんお客様を抱えるといったら、それだけ一人一人に対する、ケアというかサービスが雑になっていく。ですから、できるだけケアマネージャーさんは担当の件数を減らしなさいというふうに国は教えるんですけども、逆に事業所側は、給料払ってケアマネージャーさん雇っていますから、お客様を沢山預けたいんです。その葛藤があるんですけども、簡単に言えば、沢山のお客さんを抱えるということは、それだけきめ細かいサービスというのが出来なくなりますから、ケアマネージャーを選ぶ時には、ケアマネージャーさんに聞いてください。「あなた今何人担当しているんですか」と。僕現役のケアマネージャーですので、僕が自信を持って言っておきます、少ない方がいいです。「優秀で自分はもう60名持ってるんですよ」っていう人は、ロクなサービスは出来ません。僕が保証しておきます。ですから「今おいくつ位お持ちなのですか」と聞いて、沢山抱えているところは、良いケアできないなと思ってください。ですからケアマネージャーの担当数は少ない方がいいですね。
ケアマネージャーにも、大変優秀な方もいます。頭もいい、沢山いろんな経験を持ってる方もいるんですけども、でもケアマネージャーという立場は、お客様のいつも横にいて、親身になって話を聞いてくれる人です。たとえばドクターと話をするときに、医療の話がとっても難しくても、ケアマネージャーさんが間に入って難しいことはコーディネートしてくれたりいろんな事をするんですね。行政にいったりもしますので。ですから、一番頼みやすい人、簡単にいえば好きな人です。なんでも素直に自分の気持ちを「困ったな」と思ったときに話す、「申し訳ないんだけれど今ちょっと来てもらえない」って言いやすい人。優秀な人よりも、好きな人で選んでください。みなさんが「私あなた好きなのよ」とケアマネージャーにいうと、ケアマネージャーは必ずみなさんの事一生懸命面倒見ると思いますので、好きな人を選んでください。
ケアマネージャーも、いろんな調整役やってますので、複数のお客さんを抱えていますので、いろんな大変な事もあるんですけど、やっぱり、いつでも明るくて、元気でフットワークの軽い人ですね。お話してもなんだかんだ言っておうちに来ない、おうちに顔を見に来ないケアマネージャよりは、フットワーク軽く、「じゃ自分、役所に行きますので、そのときにちょっと相談してみます」「今度病院行くので、ドクターにも言っておきますよ」とか、「今度別のところに行くので、帰りながらおうちに寄りますね」というような、フットワークの軽いケアマネージャーが良いですね。
ケアマネージャーというのはですね、ちょっと勘違いしたケアマネージャーは、非常に強いリーダーシップを発揮するんです。いろんなことを、やっぱり専門家ですから、「こうしたほうがいい、ああしたほうがいい」と仰りたがるケアマネージャーさんっているんですけど、でもケアマネージャーというのは飽くまでも黒子役です。主人公であるご本人とご家族のために、行政や、ドクターや、看護婦や、ヘルパーさんや、いろんな人との間に立つ黒子役ですので、この方は確かに家族の側に立ってちょっと言いにくいことも、誰かに言わないといけなかったりしますから、押すことも出来るけど、引くことも出来る、そういう非常に柔軟な、頭の柔らかい黒子役に徹しられるようなケアマネージャーが大変優秀なケアマネージャーです。
ケアマネージャーも、たとえば若い方もいます、男性の方もいます、女性の方もいますけども、やっぱり僕は思うのは、実際に介護をやったことがあるケアマネージャー、これは実際介護職だったとかそういうことではなくてですね、実際に自分の親の介護をやっていたとか、祖父母の介護を見てたという方が、現実的な家族の気持ち、おうちで暮らしていく家族の苦労や、たとえば、ここでいうのもあれですけど、たとえば、姑と嫁さんの難しい関係とかあるんですよ、そういったことも介護には必ず付きまとってきますので、たとえばそういったことなんかも、分かってあげられるようなケアマネージャーを選ぶということがとても大切ですね。
もう時間が無いので最後の話ですけれども、家族に迷惑を掛けたくないという、これはよく分かりますね。先ほど名嘉さんも言っていましたけれども、僕らがいろんな介護の話をしていく時に、「おうちに帰ろうか」とか「おうちで頑張ろうか」という時に、やっぱり出てくる理由は、家族に迷惑を掛けたくない、誰かの手を煩わせたくない、やっぱり自分が、ひとつひとついろんな事が出来なくなっていく中で、本当はおうちで暮らしたいけれども、やっぱり誰かの世話になる、もしかしたらトイレにも行けなくなる、お風呂も入れなくなる、ご飯も自分で作れなくなる。やっぱりそういったことを感じながら人は生きていく。それで誰かに迷惑を掛けるぐらいだったら自分病院にいきますよ、施設に行こうかなということになると思うんです。
でも、僕ら福祉職から考える究極の地域福祉とは何かということをよく考えてみると、それはお互いに、迷惑を掛けあってもいいんだよという社会を作るということです。みなさんもそうだと思いますけども、到底人間なんていうものは、生まれながらにして、誰かの手を煩わせずに、誰一人にも迷惑を掛けずに、生きていける存在ではないんです。
ですから、我々はもっともっと迷惑を掛けられて、またみんなにも迷惑を掛けて、それでお互いにお互いを支えあっていくと、そういう社会を作っていく事がこれから大切なんだと思っています。
僕は今介護の仕事をしたり、たとえば病気の子供の世話だったり、障害を持った方のお手伝いをさせて頂いたりしておりますけども、僕は年をとって、僕も誰かの手が必要になってきたら、僕は胸を張って迷惑をかけていくつもりです。認知症になっても、僕は最後まで「ワーワーワーワー」騒ぎながら、この街で暮らしていくのを僕の理想だとしています。それでいいんだと思います。
次はみなさんの番、僕らの番、そして子供たちの番。それをずっとずっと世代間で繋いでいく、そのお互いに迷惑を掛けあってもそれでも構わない、いいじゃないと、お互いでお互いが支えあっていく社会、それが僕らが目指す福祉の姿だというふうに思っております。そのために、この社会を一緒に作っていくことがとても大切だと思います。
ですから先ほどから話をしておりますけれども、仲間先生や山里先生の様な今お医者様が、ドクターの皆様がこうやって、おうちの在宅ネットワークを作って、一生懸命おうちで支えていこうという試みをしている。先ほどの名嘉さんのように、看護婦もどんどんおうちに出て、病院を出て、みなさんを支えていこうと一生懸命やっている。次に話す石原さん―行政もそれを一生懸命サポートしていこうと、一生懸命体制をつくっています。
ただ、申し上げておきたいのは彼らや、僕のようなケアマネージャーが頑張ればいい街になるか、そんなことはないんです。「あぁこの街でよかったね」って思えるためには、みなさん自身が積極的に参加してこなければいけないわけです。結局、僕らではないんです、皆さん一人一人です。われわれ一人一人が「あぁ、この街でよかったね」と言える、そんな街を作っていくことが大切だと思ってます。ですから、そのためにできること、沢山沢山あります。ボランティアでもできるし、まずはおうちに帰って、多少は迷惑かもしれないけど、いろんなことをチャレンジしていく。
先ほどからずっと言ってますように、これだけスタンバイしているんです。是非われわれに相談して下さい。一生懸命お手伝いをさせていただきますという人たちがこれだけいるんですから、是非みんなで作っていければいいなと思っています。僕らが、今もそうですけれども、たとえばこの浦添という街が、僕らの人生を終えるときに、「あぁ自分はこの街で暮らして本当によかったな」と、「浦添でよかったな」と言えるためにも、一緒にこれからもまた力を合わせて、作っていけたらいいなと思っています。
そのために、われわれは皆さんへのお手伝いを、努力を惜しまない覚悟でこの場に立っておると思いますので、是非何かありましたらご相談ください。かならず、なんでもかんでも完璧に、パーフェクトにこなせるということではないかもしれませんけれども、一緒に寄り添いながら、みなさんが目指すもの、みなさんが求めていくものを、一緒に悩みながら、一緒にどたばたどたばたしながら、探していければいいかなと思います。
そしてこの浦添を、みんなで一緒に「わったーやっぱり浦添が一番やっさあ」と、また那覇の方が「あぁ那覇でよかったね」、中部から来た人が「あぁ沖縄市でよかったね」と、それぞれの街で暮らしていく事が「よかったね」と思えるような社会や地域を一緒につくっていければなと思っております。どうもご静聴ありがとうございました。